2012年4月2日月曜日

理科離れの原因って?


理科離れというものが社会問題としてある。
軽く検索をしただけでも学術論文やら理科離れをなくす会だとか、教育指導要項やらいっぱい出てくる。

科学館やサイエンスカフェという手法を理科離れ対策があるが、多くは「理科の楽しみを見せる」という手法を取っている。
この「理科の楽しみを見せる」というのもなかなか曲者で、楽しみを見せるだけというものが多いように思える。
それはまるで遊園地のようで、その場では科学の不思議などを見せれられので楽しいのだが、その先の「なんで?」には繋がらない。
ありていにいうと「科学者の自己満足」につきあわされているだけで「科学ってすごいなあ」で終わってしまう。
一番大切なことは「なんでそうなるの?」と思わせ「自分でやろう」と思わせることだ。

大量消費物のように、おもしろいだけで終わらしてはいけないのだ。
そのためには、技術の成果だけを提示するのではなく、これこれこうでこうなった、じゃあこうなったらどうなるだろう?という、いわゆるアソビの枠が必要に思える。
完成された結果だけではそこで終わってしまい発展しない。

そのためには、やはりどうしてそうなるのか、という科学的理論は必要不可欠である。それはいっけんして難しいが、数式などを使わずに大ざっぱでも簡単に説明をする方法はいくらでもあるはずだ。
それを提示している「本来の科学のおもしろさを伝える場所」が少ないように思える。

たしかにそれは手間がかかることではあるし興味をしめさないで即物的おもしろさしか見ない人も多いかもしれない。しかし、本質であるそれを省くのは提示する側の妥協でしかない。
それができていないから、「科学という手法を使っただけの、遊園地となにも変わらない場」がはびこる結果となったのではないだろうか。

そもそも、本来そこの下地を作るのに一番適しているのはやはりテレビであると思う。
だが、そのテレビ自体難しいものの説明をわかりやすく伝えるという義務を放棄し、イメージ戦略になっているように思える。
はじめから「科学とは難しいものなんでわかる人にしかわかんないだろ」という態度が目に見えるのだ。

例として、最近では東北大震災に伴い原子力・放射能に対して世間での関心が高まり、色々な情報がマスコミ等によって発信されている。
でも例えば、○○ミリシーベルトという言葉が頻繁に使われますが、なんとなく数値が高いと危険!という認識はあれどそれが何を表しているかはっきりとわかる人は少ないように思える。

つまり、何がどう悪いだとか、数値の意味だとかの説明を放棄し、なんとなくのイメージで放射能問題に対して考えさせてしまっているように感じる。

イメージだけで伝える方がもちろん作り手としては楽なのではあるが、繰り返し言っているように説明を放棄しているとしか思えない。
そしてそれによって、子どもだけでなく子どもに教える立場である親(大人)の理科離れ・・・むしろ理科アレルギーが進行している。

だから、理科離れに対してどうすればいいのか、と問われたならば「マスコミを変える、または科学館の意識を変える」と答えるようにしている。

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