2012年4月13日金曜日

こころ(夏目漱石)書評。人間のエゴという本質を取り扱った現代にも通じる古典名作。


夏目漱石の「こころ」、高校1年のときに読書感想文ではじめて読んで以来何回か読んでいるけど「山月記」と共に個人的バイブル。

「こころ」でよく名言としてあげられるのは「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という"先生"の親友であるKが言った台詞。
僕も昔はこの台詞が一番好きで、今でも好きなのだが、久しぶりに読み返してみるとそれより感銘を受けた台詞がある。

「悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな
鋳型に入れたような悪人は世の中にある筈がありませんよ。平生はみんな善人なんで
す。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に
変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」


タイトルの「こころ」が表しているようにこの小説は人間のこころを表した作品で、おそらくこの台詞が一番タイトルを表すのにふさわしいのではないだろうか。

"先生"は昔遺産の相続の関係で、かつては善人であった親戚に騙されてこのような人間にはなりたくないと考える。
しかし、その後"先生"は親友であるKと恋愛で争い、そしてKを出しぬき恋愛に勝った結果Kは自殺してしまう。
そして、"先生"は自分もあれほど酷い存在だと思っていた親戚と同じように、ある日善人から悪人となってしまったことに気づく。

これは、どんな時代もありえることで、例えば社会問題である"いじめ"とかでも「いじめられている子が可哀想だとは思うし、本心ではいじめたくない。だけれどいじめに加わらないと今度は自分がいじめらるからいじめに加わる」というのもその一種だろう。

このように、鋳型にはめたような絶対的悪人などこの世にはいない。しかし、ある状況では悪人となる。
逆に考えれば、鋳型にはめたような絶対的善人もいないのだ。

・余談
数ある中から"いじめ"を例に出したのは、これは大人だけではなく子どもという純粋な存在でも適用できる人間のこころの本質ではないのか、ということい適していたからである。
「一緒に騒がないとハブられる」という意味で「学級崩壊」でもOK.



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