2012年9月24日月曜日

僕らの世代がこの先生きのこるには

「希望の国のエクソダス(村上龍/文春文庫)」を読んだ。
  

話としては、2002年にパキスタンにいる日本人青年が発見された。 「この国には何でもある、ただ、『希望』だけがない」と彼は言う。
そのため、「生きる喜びのすべて、家族愛と友情と尊敬を誇り、そういったものがあり、敵はいてもいじめるものやいじめられるものがいない」パキスタンに日本を脱し、現地人となじみ在住しているようだ。
 そして、彼の言葉に共感して全国の中学生が学校を捨て、インターネットを使い自分たちでネットワークを作り金儲けをし、自分たちの『希望の国』を作った。
そんな話。

 日本は経済的に行き詰まっている。そして、社会的にも行き詰っている。 しかし行き詰まり未来が見えないにも関わらず既存のシステムのまま子どもにもそのままの教育をしている。
 中学生グループの中心人物であるポンちゃんは「生きていくために必要な物がとりあえずすべてそろっていて、それで希望だけがない、という国で、(戦後のようなものがなく)希望しかなかった頃とほとんど変わらない教育を受けているという事実をどう考えればいいのだろうか、よほどのバカで無い限り、中学生でそういうことを考えない人間はいなかったと想います。」と言う。
 そして、「子どもの場合ですが、とりあえず大人のやり方を真似るっていうか。参考にしていく以外に生き方を考えることができないわけで、要するに、(未来を示すことが出来ない、自身の無い今の大人は参考にできないので)誰を真似すればいいのか、みたいなことがまったくわからなくなっているわけです。」とも言う。 

親や教師といったような”大人”は「勉強をして、良い大学に入って、良い会社に入る」ことを教える。しかし、それは昔のように安定した社会・発展していく社会での話だ。
今の日本ではこの”大人が示す道のり”ではやっていけない、なぜなら前提である社会の様子が変わっているからだ。
 そのため、ポンちゃんは自分たちで今の社会に合う(中学生が求める)教育機関を作る。 繰り返すが、今の社会は終身雇用をはじめとした『バブル期に作られた成長ありきの社会の仕組み』をそのまま使っている。

 『希望の国のエクソダス』はもちろんフィクションの存在ではあるのだが、実際に僕達も”いまの社会に適した”社会の仕組みを使い様々な不備が起きている。
しかし、大人からしたらそれを変えない方が都合が良い。そして、就職難などの世代間格差といったように、それらのツケ、大人の尻拭いを社会的弱者である若者に降りかかっている。

 このような状況で僕らはどうしたらいいのだろうか、となるとやはりポンちゃんのように既存の社会のシステムとは違う社会を作り、そこにエクソダス(脱出)しなければいけないのではないだろうか。
と、いうよりそうしないと若者、ひいては日本の未来はないのではないだろうか。 今は、バブル崩壊後に産まれた僕らの世代が20歳を越えそれなりに力を示せるような過渡期である。
だからこそ、僕たちはこれからの日本、そして自分たちのために今までの”常識”とは違った何かを作り上げて行かなければならない。

2012年9月14日金曜日

日本人にとっての倫理の拠り所

遠藤周作の「海斗毒薬」という本を読んだ。


これは実際に戦時中に九州帝国大学で捕虜で生体実験をおこなった事件(wikipedia)を基に書かれたフィクション小説である。
戦時下という極限状態で人は心からの行動を取る。
そして、そのとき日本人の倫理はどうなるか。
倫理の行動規範は何なのか。
そんなテーマです。

知っての通り、多くの日本人は無宗教です。厳密には仏教とか神道ですが、意識的に・明確に信ずるという点では無宗教です。
信仰する宗教がある人は、行動規範・倫理規範は宗教(神)に基づきます。
では、信仰する宗教が無い日本人は何を行動規範・倫理規範とするのか。
この小説で述べている通り、日本人は倫理観を"世間"、別名"空気"や"集団心理"といったものに求めるように感じられます。
つまり、明文化された規範がない。あやふやなんです。統一されてないのです。
そして、絶対的もので無い故、本人が内心正しいと思っていないことにも"周りに合わせて"従ってしまいます。
確固たる信念の拠り所が無いとも言えます。

「だから日本も特定宗教を信仰しよう!」などということは言いません。んな風潮を作るのは今更無理ですし。
では、何を拠り所にすればいいのかというとやはり"自分"ではないかと。
自分の考え(所謂"軸")をハッキリとさせていたら、何かが起きた時自分の軸に聞いてみたら行動規範がわかる。
そして、"軸"が確立されていればされているほど、それは絶対的なものとなる。

特定の信仰する宗教を持たない日本人は、自分の拠り所がないからこそ自分自身を拠り所とするべきではないでしょうか。

余談。
この不安定な日本では不安が付きまとう。
明日の見えない世の中で、頼れるものはない。
どう行動するのが正しいか教えてくれる絶対的なものがない。
なので、倫理観だけに限らず今後世の中を生きるためにも「自分の軸を持つこと」は必須にならざるを得ないと思う。
詳しく書いたの記事こちら→自分の軸を持つことは個人的には一番大切だし、面白い人は持っているよね

お金に対する罪悪感ってなにさ



よく「金を儲けることに対する罪悪感」という、「金=悪」といったことを聞く。
「金は悪だから、得るのは悪いことをしているようだ。」
「お金を持っている人は何か悪いことをしているのだろう。」
そのような言説がまかり通る。

しかし、はたしてお金は悪だろうか。
もちろん悪事に手を染めて入手したのならまだしも、努力し積み重ねた能力に対する報酬に近いだけなように思える。
例えでいうと、『練習をがんばった結果、試合に勝ちました。』『テスト勉強を頑張って良い点数が取れた。』これと何ら変わりはないのではないだろうか。

そもそもお金は善悪とか以前にタダの道具ではないのか。
何かをするに当たっての選択肢を増やす道具。
使いようによっては善にも悪にもなるが、そのものはニュートラルだ。


ところで、人間(日本人?)は欲を持ってはいけない悪いものとしすぎだと思う。
欲は自然と湧いてくる人間の根源的ものである。
否定したところでそれは"あるもの"なのだから後ろめたく思わなくてもいいし、ましてや無くせはしない。
私たちのすることといえば、暴走しないようにコントロールをする程度だ。
実際キリスト教では、「大食(暴食)強欲(貪欲)怠惰(堕落)色欲(淫蕩・肉欲)高慢(傲慢)嫉妬(羨望)憤怒(激情)」の7つを取って七つの大罪というがこれは別名"七つの罪源"というように、"罪そのもの"ではなくて"罪に導く可能性のあるもの"らしい。

人間の欲望というものはキリが無く、実際お金を手に入れたらそのお金を使って更にお金を得ようとしたり罪に手を染めようとしがちである。だからお金=悪という認識が強いのだろう。
だが、私たちは"欲"に対して持たないようにするのではなく、それをどう扱っていくのかコントロールする術を身につけるべきではないのだろうか。

2012年9月8日土曜日

ビジネス書より小説を読め!



先日このようなツイートを見た。



"人間"を作ったモノに対する学問だからこそ、"人間"を学ばないといけない。
社会は"人間"が集まってできたモノだからこそ書物だけでなく実際のモノをみないと学問に血が通わない。
「統計学上こうなる」のように"結果"だけを見るのでなくて、「こういう心理からこうなる」という感覚でわからないと、人の集まりで成り立つ学問を読み解くことはできない。

それと同時にMay_Romaさんは読書についても述べている。
古典などの小説や哲学書が何故大切かというとそれが"自分"を形作るから。
ビジネス書は技術といったような"道具"の使い方を学ぶモノ。
一方で小説や哲学書は道具を使う"人"を作るためのモノ。
いくら道具の使い方が上手くても使う人が駄目ならば、何の役にもたたない。
確かにビジネス書は「勉強になった」感が強い。けれど、ひどく即物的だし、指針や基礎を教えてくれる程度で手になじませるにはやはり実際に社会で使わないといけない。
そして、使うにあたって"人間"を知っていないと上手くなじませることはできない。
数学でいうところ、公式や公式の使い方は覚えていても問題は解けないのだ。

一方哲学書だとか小説はその場での「勉強になった」感は薄い。しかし、じっくりと自分の中で熟成されて"自分"を作る一核となる。そして、人を知る一核となる。

僕も、今の自分を作った原点を考えるとある長編小説がある。
そして、それらをこねくりまわしたり付け加えたりするのに哲学は非常に役に立って、それらの集大成として自分があるように思える。
現実と違い小説というのはある人間の心情が深くつづられて"見える"、そして(多くの古典小説、特に純文学は)それが話の核となる。そのため、ダイレクトに"ある人間"を知ることができる。

ビジネス書のような"技術"はあくまで"人間ありき"の存在なのだ。

リンク:哲学のすすめ

2012年9月5日水曜日

同年代でも活躍している人が出始めている



こんにちわ、長野です。23歳です。大学4年生です。
タイトルの通りですが、23歳ともなると同年代でも「あきらかにレベルが違うよなぁ」って人をぽつぽつ見ます。
ここで指している人は、例えばスポーツ選手だとかアーティストとか、そういういわゆる"プロ職業"というある意味「自分とは別の世界」の人ではなく、同じ"大学生"という枠組みで何かをやり初め積み重ねたもので活動している人、こういう人です。

知識量

彼らは、考え方の洗練さもだけれど「知識量」の違いに圧倒されます。
でも、その知識というのは大学生(20歳前後)ということを考えたら「数十年溜めてきた知識」ではなくて「ここ数年で溜めた知識」なんだと思う。
一方で、自分は大学に入学してから何をしてきたのかと、もしかしたら自分も同じようにしてきたら彼らと同レベルになってたのではないか、数年の差でこんなにもレベルに差が生まれるのか、そういう後悔混じりの思いがよぎる。

だからこそ、今は負けていても少しでも彼らに追い付けるように、数年後の自分が同じように23歳の自分の怠慢さに後悔しないように"今"を頑張りたいと思う。

行動

知識の量もなんだけど、行動も圧倒的に違う。
社会人顔負けというか、そんなようなことをしている。

例えば、最近Grow!という支援サービスで注目されているユリコカイという一橋大学の4年生の人がいる。
Grow!というサービスは8/23のリニューアルで「活動支援をしたい人がいれば月に500円からの"サポーター"になり、金銭的支援ができる」というサービス。
彼女は普段から国内国外の良質なwebサービスをtwitterブログで発信したり、かつてはセブ島からの輸入ビジネスをしていたのだけれど、最近Grow!のサポーター限定でwebサービス紹介の中でも特に良いものを公開するようになりました。そしてそれをやり初め2週間もたたず33人のサポーターを手に入れています。サポーター人数TOPが何人かはいまいち調べれてないのですが、この人数ってダントツなような。
ばーっと調べた感じ2,3位が20人前後、その下10人前後が数人、基本的には0か1人、って感じ。

なにが言いたいかというと、「500円を払ってでも彼女の発信する情報に価値があると思っている人がかなりいる」「それだけの信頼・評価される情報を今まで出してきた」ということ。
たかが33人と思う人もいるかもしれないけど、"大学生"が、"最近できた一部の人しかしらないサービス"で、"メディア露出もなく"、これだけの人を2週間弱で集める実績はすごいと思う。あと美人っぽいし。

他にも、そこそこオフの日も入れつつ月100万円以上を完全歩合制で金融商品を売る人や、通販サイトを運営して稼ぐ人などなど、普通にそこらじゅうにいて上げていけばキリがないです。

で、彼らがやってることってやろうと思えばやれる行動だけど、成果出すの難しいよね。さらに言えばそもそもそういうことしようとしないよね。
そういう意味で、"行動が凡人と違う"、そう思った。
だけれども、前述のように(成果はともかく)行動自体はやろうと思えば誰でもできるんだよね、やらないけど。
そういう行動をやろうとすることがまずスゴイわ。

で、何が言いたいわけ?

てことで、何かを恐れずにそういうような"行動"をしようかな、と。
で、成果を出せるように"知識"をつけよう、と。
そう思いました。
今までもそれは意識していたし行動はしていたけども、思えばまだまだ何かを恐れていたり、大したことやってなかったりでした。
幸いなことに、何かができる機会や場は今までの小さな行動の積み重ねから最近得ることができたので後は"成果"を出すことかな、と思います。

充電完了。再起動するにあたって。

ブログ、停滞してましたがちゃんとすることにします。

理由

今まで停滞していた理由は、生活環境の変化(研究室配備)や大学院入試とかタイミングというものもあったけども、あの時点での書きたいこと・書けることを書きつくしたからです。
7月くらいから意識的にインプットの量を増やすと共に、考えに対する明確な変化(パラダイムシフト?)が起きたりでそろそろ出力する時期かなー、と思い再び筆を執ることにしました。

このブログはアフィリエイトだとか、考えを普及させるだとか、そういった"記事を書く"ことが目的ではなく、何かに対して「まとまった結論」を自分の中で整理するために書いています。twtterは考えを出力しながらウダウダ言う"思考の過程"の場。
そのため、また行き詰まりを感じたら停滞するかもしれませんがご了承ください。