2012年9月8日土曜日

ビジネス書より小説を読め!



先日このようなツイートを見た。



"人間"を作ったモノに対する学問だからこそ、"人間"を学ばないといけない。
社会は"人間"が集まってできたモノだからこそ書物だけでなく実際のモノをみないと学問に血が通わない。
「統計学上こうなる」のように"結果"だけを見るのでなくて、「こういう心理からこうなる」という感覚でわからないと、人の集まりで成り立つ学問を読み解くことはできない。

それと同時にMay_Romaさんは読書についても述べている。
古典などの小説や哲学書が何故大切かというとそれが"自分"を形作るから。
ビジネス書は技術といったような"道具"の使い方を学ぶモノ。
一方で小説や哲学書は道具を使う"人"を作るためのモノ。
いくら道具の使い方が上手くても使う人が駄目ならば、何の役にもたたない。
確かにビジネス書は「勉強になった」感が強い。けれど、ひどく即物的だし、指針や基礎を教えてくれる程度で手になじませるにはやはり実際に社会で使わないといけない。
そして、使うにあたって"人間"を知っていないと上手くなじませることはできない。
数学でいうところ、公式や公式の使い方は覚えていても問題は解けないのだ。

一方哲学書だとか小説はその場での「勉強になった」感は薄い。しかし、じっくりと自分の中で熟成されて"自分"を作る一核となる。そして、人を知る一核となる。

僕も、今の自分を作った原点を考えるとある長編小説がある。
そして、それらをこねくりまわしたり付け加えたりするのに哲学は非常に役に立って、それらの集大成として自分があるように思える。
現実と違い小説というのはある人間の心情が深くつづられて"見える"、そして(多くの古典小説、特に純文学は)それが話の核となる。そのため、ダイレクトに"ある人間"を知ることができる。

ビジネス書のような"技術"はあくまで"人間ありき"の存在なのだ。

リンク:哲学のすすめ

2 件のコメント:

  1. じゅんぺい2012年9月27日 6:16

    本も映画もたくさん読んだり見てきたが、
    一時的な感銘や感動や変化の原動力であった。

    でも、その変化の原動力を、本物の変化に変えたのは
    環境の変化であったり、人との対話だった。

    やはり、料理したものよりも、生がいいと私は思う。

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    1. 原動力止まりだし生に勝るものはない。が、場所や時を選ばず良質なものを入れれるのは強みかなぁと思う。
      まぁ喋りとかなんでもいいけどアウトプット必須ですが。

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