2012年10月4日木曜日

ホンモノとニセモノ。誠意と欺瞞。意志があるかないか。

自分なりに思う、『正しい行動』。
しょっぱなから言うと「意志が”ある”か”ない”か」が基準。




  • 世間⇔自己




「世間一般で”これをした方が良い”とされているからする」、これは自分の頭では考えてなく、行動の背景が世間というあやふやなものからきている。
そこに自己は入っていないので、意志は介入しない。”世間の操り人形”と言ってもいいだろう。

一方で、「自分が何かに対して問題意識を持った。そしてそれを変えなければいけない」そう思って自分の中の問題意識を元に行動した場合、これは行動の背景が自己といえる。
自分のしたいからした行動が”たまたま”世間で良いとされる行動と合致したというパターン。


  • 意志を強固にするもの
ただ自己を背景にするだけではまだ意志のエネルギーが弱い。
弱いというより、洗練されてないと言った方が正しいのかもしれない。
ではより洗練されるにはどうしたらよいのか。

それは現実と擦り合わせることだ。
どうしても意志の初めの方は現実とかけ離れた理想を目指している。
そのため、行動をし、現実と擦り合わせ絶望や挫折を通して色々と考える。考える過程で自分の考えや内部の底まで考えさせられるので洗練化される。そして同時に、絶望や挫折といった気持ちをかかえ、ときには諦めつつも「それでも俺はやりたい!」という強さを手に入れる。
それこそ確固たる意志ではないのだろうか。
逆に、そこで放り投げてしまうのならば、そこまで問題とは思っていなかったともいえるのではないだろうか。

また、これはスタートが”世間”での行動だとしても、絶望や挫折を通すことで強制的に自分の問題へと変化しざるをえないので、結果的にはスタート地点は違えど「自己を背景とした人」と変わらない正しさとなる。


行動に意志が伴うからこそ、様々な苦難も乗り越えて行動できるし綺麗事以外にもちゃんと目を向けられる。そのようなものが『正しい行動』ではないのだろうか。





↓↓↓ここからただのオタによる余談↓↓↓



この記事は以前書いた「自分の軸を持つことは個人的には一番大切だし、面白い人は持っているよね」と同じカテゴリーのことに対し、新たに思ったことを書いた補足的内容となってます。
これを書いたとき、小説「偽物語」(少し前アニメ化されてた)を読みなおした直後だったのでちょっと影響されています。

この偽物語という小説は<物語シリーズ>というものの3作品目に当たります。
このシリーズのテーマは「正義と偽善について」だと思ってます。
1,2作目(化物語・傷物語)は主人公の、中身の無い偽善な行動をする話。
3作目(偽物語)は、自分が中身の無い偽善をしていたことに気付く話。
4作目以降は、それをホンモノにしようと努力する話。
そう思ってます。
で、たまたま似たようなことを感じ、ちゃんとまとめてあるブログがあったのでリンクをしておきます。まぁあのシリーズ読むなり、アニメで観るなりしてないと読みづらいかもしれませんが、この方のまとめ方が上手いので読んでなくても伝わるものは大きいと思います。

◆阿良々木くんがヒーローになるまで◆(←始めの方はあまり関係ないです)

今アニメやってる「ココロコネクト」シリーズも小テーマのひとつとして同じようなものはあるかな。「自己満足野郎」。・・・ちゃんと向き合って処理するのは8作目だけど。

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