2012年11月20日火曜日

本当の優しさとはなんだろうか

優しさとはなんだろうか。
誰かが傷ついていたら”優しく”声をかける、”優しく”慰める。
そのような人が世間一般でいう「優しい人」だと思う。

しかし、はたしてそれだけが優しさなのだろうか。
当たり障りのない、上辺だけの優しさをかけるのは本当に”優しい”といえるのだろうか。



  • 上辺の”プラス”だけで成り立っている人間関係

世の中の人間関係は”プラスイメージなこと”で成り立っている。
逆に、”マイナスイメージこと”では成り立ってない。
・・・表面上は、ですが一応そういうことになってます。

つまり、優しさや助けあいといったような”プラスイメージ”なことで成り立ち、辛辣な言葉といったような”マイナスイメージ”では人間関係は成り立ってないし、そもそも成り立たない。

そんな”プラスイメージ”で成り立っているからこそ、”マイナスイメージ”なことをそこに投げかけることができない。
そして、物事の解決方法として”マイナスイメージ”なことが出来ないことも示している。


  • ”プラス”だけでの限界

しかし、”プラスイメージ”なことだけでは解決できず、”マイナスイメージ”なことでしか解決できない問題も多いのではないだろうか。

例えば、何かに悩んでいつまでも踏み出せない人がいるとする。
周りの友達は「大変だね」「何か手伝えることがあったら言ってね」といったような優しいキレイな言葉やいわゆる”優しい嘘”で慰める。

が、「ウダウダ言ってんじゃねーよ、とりあえず動けよヴォケ甘えんなカス」と辛辣な言葉を投げることでその人が結果として”助かる”場合はどうだろうか。
(もちろん、それが正しい判断でなく、「追い詰めるだけ」となる場合もあるけれども)


  • 救った人は往々にして嫌われる

辛辣といういわゆるマイナスイメージを自分に与える言葉を吐けば、本人には嫌われることもある。
そして、本人だけでなく周りの”優しい言葉を吐いていた人”にも「あんなこと言わなくても・・・」「ひどいよねー」と連鎖的に嫌われることもある。
だけれども、本人は結果として”救われている”のだ。

  • 好んで嫌われようとする人なんていない。

みんなそれが適していないと明らかにわかっている状況でもプラスイメージな”優しい言葉”しか吐けない、吐かない
ひねくれた言い方をするならば、適している言葉は違う言葉だと薄々わかっていてもそれに気付いていないふりをして「自分が嫌われたくない」「面倒事になりたくない」という心理で”優しい言葉”を吐く。

一方で、「その人を”救う”ために適切な言葉を吐く人」というのは「嫌われる可能性があるとしても、それを考慮のうえで覚悟し、自分を犠牲にしてでも相手のために言う」
こういう人こそ、”真に優しい人”だと思う。

  • ただし、見た目は同じでも...

もちろん、「みんなが言えないこと言える自分かっこいー」だとか「自分の考えこそ正しくてそれを押し付けることで自分の正当性を認めたい」というような理由でそれをする人は「他人のためと見せかけて本当は自分のため」なので最高にクソだけれども。

  • 本当に大切なものは、目には見えない

じゃあそれをどうやって判断すればいいのだろうか。
それは普段の振る舞いしかない。
サンテグジュペリ著「星の王子さま」で、王子さまは『本当に大切なものは、目には見えないんだよ。』という。そして劇中の別の場面でキツネは『言葉は誤解のもとだからね。』とも言う。
言葉だけでは人の真意は見えない。辛辣な言葉は、言葉だけではただの暴言だ。そして、それが誤解へと繋がる。

だからこそ、目には見えない”振る舞い”から「ただ暴言を言っているだけなのか」、言葉の真意を探り「本当に相手のためを思って言っているのか」「自分のために言っているだけなのか」を判断するしかない。

  • 最後に。

そんな「真に優しく」「理解されずに嫌われる」人は誰に救われればいいのだろう
嫌われるのを覚悟の上で”自己責任”でやったのだから、本人は救って貰えない覚悟もあるのだろう。だけれど、それじゃあ可哀想だ。
だからこそ、そんな人を理解してあげられるような人になるべきだ
大多数に嫌われていても、数人でも理解しそばにいてくれればそれだけでその人の行動が救われると思うので。


【関連】
まぁ真に相手を思っていても、言いたいことが伝わらないと何の意味もないので、ちゃんと伝わるにはどうしたらよいのだろうか。
という昔書いた記事がこちら